JBLの設立者として有名な天才エンジニアの James B. Lansing は設計者と してはMGMと組んで映画館用のスピーカーシステムを1937年に発表し、 大成功を納めたにもかかわらず、企業人としては不幸の連続だったような気が します。ビジネス・パートナーを飛行機事故で失ってからは、資金繰りに苦しみ 1941年には、ついに、それまでは単なるメンテナンスをするだけの会社だった ALTECに会社を売却し、それまで Lansing Manufacturing Company の 製品だった284(後のALTEC/288の原型)や38cmウーファー(後のALTEC 515の原型)や801(後のALTEC/802の原型)などが全てALTECの製品と なり、自分の名字である Lansing までALTEC Lansing の商標として利用 されることになりました。当時の ALTEC は Western Electric の権利を買い 取っただけで、自分たちでは製品を作る能力もないような状況でしたので、非常 に良い買い物をしたことになるでしょう。それに引き替え、JamesはALTECに 買収される際、最低5年は独立しないと言う契約をさせられ、その契約が終わり、 ようやくJBLとして独立することができましたが、当初から資金調達に苦労し続け、 自らの死期を早めてしまったようです。 (当時の金額で1万ドルの生命保険を残して・・・・) 独立直後からの数年間、彼の発表したウーファーやコンプレッション・ドライバー は市場からそっぽを向かれていたようですが、彼の死後になって、JBLの製品が 圧倒的な支持を受けるようになったのは皮肉です。 JBLがトップ・メーカーとして現在も生き残り、ALTECがEVの親会社でもある 軍事産業のコングロマリット企業に買収されてから、結局はつぶされてしまったと いう現実は、 James が音にかけた熱い想いとの差なのかもしれません。 (ALTECというブランドは中国系の会社に売却され、パソコンやコンシューマー 用の廉価版スピーカーに使われていますが、ALTEC Lansing Professional と して、最近また復活したようですが、いまだに初期のLANSING時代の設計を 引きずっているようで、淋しい限りです.....) |
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故 Algis Renkus 氏 1937(?)〜1997 |
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現在のRADIANのコンプレッション・ドライバーの基本設計をした、EMILARの 元社長の Algis Renkusの場合も、難病による突然死という点では異なりますが、 本来ならもっと活躍の場を与えられるべき天才という点では似たところがあるように 思われます。 彼の父親のJonas Renkusも天才的なエンジニアでダイアフラムのエッジにブチル ゴムを採用するなど、エッジの金属疲労への対策を、ジェット旅客機が金属疲労の ため世界中で落ちまくった1960年代から考えていたという事実には驚かされます。 Algis も当然のように、音響工学を学び、コンプレッション・ドライバーの設計をする ようになり、1970年代に親子で EMILAR という会社を立ち上げ、グラフィックEQを 製品化したUREIの依頼でイコライジングに適したドライバーやホーンの供給をする ようになりました。父親のJonasはこのころに糸巻き型の開口部のホーンEH800や 当時としては驚異的な耐入力を誇ったコンプレッション・ドライバーEA175などを 次々と発表しました。 そして、1979年にAlgisはHarro Heinz氏に招かれRenkus-Heinzを設立しま した。Renkus-Heinzで、Algisは父親のサポートを得ながら、リード線無しで 直接ケーブルを接続できるという今までにない構造のダイアフラムや、フェライト マグネットに最適な構造の外磁型ドライバーを次々に開発しました。 しかし、ここでも、大型ドライバーの開発で意見が対立し、再びEMILARへ戻り 出直すことにしました。 (Renkus-Heinz は彼が辞めてからも彼の基本設計を元にドライバーを製作 したり、電気屋さんを呼び入れてプロセッサー付きでオリジナルのシステムを 売り出し、廉価版のMEYERというイメージでそこそこの評価を得たようです。) 彼は EMILAR へ戻ると、EK175やEC320の他に、EC600という6インチの ダイアフラムを持つ3.2インチ・スロートの本格的な中音域専用のコンプレッション・ ドライバーや、EH820やEH520などのUni Directional Directivity Hornを 完成させました。 (Renkus-Heinzから販売されていた大型ドライバーのSSD5600は彼の試作 したユニットを元に製作されたとのことです。また、彼はホーン・ロードがまともに かかっていない定指向性ホーンには否定的な立場を貫いたようで、Renkus- Heinz では、一切ホーンの設計はしていません。) そしてEMILARは以前にもまして、斬新的な製品を開発するメーカーとして オーストラリアのARX社など様々な会社にユニットを供給するようになりました。 しかし、ユニットの製造販売だけで、利幅の大きなスピーカー・システムは製造 しなかったこともあり、新製品開発のための資金を調達するのに苦労させられた ようです。そこで、Algis も James と同様、開発資金を捻出するために、何人か の投資家に資金援助を仰ぎましたが、その誰もが彼に約束していた開発資金を 供給せず、その結果、彼は自らの会社を辞めざるをえなくなってしまいました。 退社後、AlgisはRADIANをはじめ、色々なメーカーの設計を担当し、EMILAR の経営が傾いてきた段階で、全ての治具をEMILARから買い取り、倒産までの間 それをリースバックしていました。そして、EMILARが倒産してからAUDRAという 新しい名前で会社を再建しました。 AUDRAとは「雷鳴」という意味で、彼の一人娘の名前でもあります。彼は当初、 私にEMILARの名前も買い戻した方が私の商売に都合が良いかと訊いてきま したが、私は Lansing と同じように、会社名より開発者の名前の方がブランドと して重要だし、会社の名前だけのためにお金を使うことは無駄だと伝えました。 そして、ホーンやコンプレッション・ドライバーがAUDRAブランドで供給再開され コンプレッション・ドライバーにも更に改良が加えられ、あとは強度を増すために 深くしたコーン紙を採用したウーファーと同軸型スピーカーの生産にかかろうと 寝る間を惜しんで開発を続けていた矢先、病魔に冒され、いったんは回復した ものの、最終的には心臓発作のため、この世を去りました。 彼はそれまで、様々なアイディアを盗用されてきていましたので、ほとんどの発明 の肝心な部分を自分の頭の中にだけしまっていたようで、生きてさえいれば、更に 画期的な製品を開発していただろうにと、残念でなりません。 |
上の画像はAlgisが死ぬ間際まで開発していたダイアフラムで、振動板の他エッジ などボイスコイル以外は全てプラスティックの一体成型でできています。 そしてボイスコイルにも画期的なアイディアが盛り込まれており、これまでのボイス コイルがアコーディオンのようだといえるほど強度があり、なおかつ生産コストを下げ られる、理想的なダイアフラムが完成間際だったのですが、彼の死とともに未完成 のままになってしまいました。 彼は開発途中の段階で、様々な試みについて、私に説明してくれていましたので、 その夢を実現する資金と能力がある企業がいればと願っております。 |