サウンド&レコーディング・マガジン
1992年1月号

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使用機材について

今回使用されたクレア・ブラザーズのS-4キャビネットは、片側に1列7台が8段積まれ合計
112台でした。使用されていた専用プロセッサーは、3年半前から開発が進められマイケル
ジャクソンのツアーでは試作段階のものが使用されていた Coherent Transfer System (CTS)
と呼ばれる新製品で、位相と時間軸をアナログ回路で補正しています。今回使用されたCTS
は、過去1年間ロバート・プラント、スティング、ポール・サイモン、デビー・ギブソン、ボブ・
ディラン等のツアーでチェックされ最終的な仕様が決定された完成品バージョンとのことです。
性能面では、リミッターと出力トランスを通した状態で121dB以上のダイナミック・レンジと
0.003%以下の歪率をクリアしており、周波数特性も100kHzまでのびているなどデジタル・
プロセッサーを上回っているため、クレア・ブラザーズも現時点ではデジタル化する予定は
ないとのことです。CTSの特徴は理想的なリミッターにあり、保護回路用に開発されたVCAが
採用されています。このVCAは増幅機能は持たずアッテネートするだけで済むため、
リミッターとして良好な性能が得られているそうです。なお、このCTSは発熱量が桁違いに
大きいためファンが取り付けられており、リハーサルや本番中に排気口に手を近づけると
パワー・アンプ並の熱風が吹き出していました。
今回のミキシング・コンソールはマイケル・ジャクソンの時に使用されたクレアのカスタム・
ミキサーではなく、このところ日本でも評判になっているギャンブルのシリーズEXとヤマハの
PM3000-40が使用されました。ギャンブルのミキサーは56チャンネルでありながら非常に
コンパクトにまとめられており、AUXは8系統、グループも8系統ですが、両方ともステレオに
なってるため、実質的にはそれぞれ16系統と、最近のコンサートSRの要求に対応しています。
また、トータルのイコライジングにはT.C.エレクトロニックのTC1128がロング・スローとノーマル
のS-4に対して2チャンネルずつ合計4台使用されており、それが1台のプログラマーで
コントロールされていました。このイコライザーはステージ・モニターの方にも使用されており
こちらの方は30台のTC1128が1台のプログラマーでコントロールされていました。
ステージ・モニター担当の二人
モニター・ミキサーはハリソンの32チャンネルが2台と、サウンドクラフトの200Bが2台使用され
ており、モニター・スピーカーはお馴染みの12AMでした。
12AM

サウンドについて

本番は最初の音からすばらしいバランスでスタートしました。デイヴィットは体でリズムを取り、
ほとんど踊りっぱなしという状態でした。彼の前にドラム・パッドがあれば間違いなく彼は5人目
のパーカッション奏者になったでしょう。本番中の音圧は、彼の言ったとおりクラークテクニック
のスペアナDN60で監視する限りでは110dBSPLを超えることはほとんどありませんでしたが、
ピークはしばしば120dBSPLまで達しているようなシャープなサウンドでした。マイクとデイヴィット
は、本番中しばしばCTSのインジケーターを見て、ときどきゲインとスレッショルドを調整していま
した。CTSのリミッターは高音域のみにかかるような状態で、低音域、中音域は見ていた限り
では1回もありませんでした。高音域のリミッターによって、耳につくような音が巧妙にカットされ
ていたのかもしれません。ウェンデル・ジュニアの音は40Hzを中心に1オクターブ程度のピーク
を持った分厚い感じのサウンドでした。全体的なサウンドとしては、70年代のアメリカのレコー
ディングに良く聴かれるやや膨らんだ感じの低音に、明瞭度の高い中音と高音がほどよい
バランスでした。

あとがき

今回も、ミキシング・ブースでは全くストロボは使わず、ステージ・モニター関連のところだけ、
ストロボ撮影しました。もちろん、アーティストを撮してはダメとか、楽器を撮してはダメとか、
いろいろな規制はありましたが、こちらの取材目的がPAだということを理解していただいて、
なんとか撮影を続けられました。
(使用機材 : Canon EOS620 + Sigma 28mm F1.8 & Canon EF 50-200mm F3.5-4.5 L
Pentax LX + Pentax 24-50mmF4 & Pentax 50mm F1.7 & Tokina 60-120mm F2.8)
今回の取材は私自身が好きなアーティストのコンサートでしたので、取材の仕事を離れて
楽しんでしまうことも、しばしばでした。リハーサルが終了した後、スタッフのひとりがフランク・
シナトラが歌う[ミセス・ロビンソン]のCDをかけた時は一同大受けでした。
マイケル・ジャクソンの時は「本番も聴いていったら」というオファーを、帰りの新幹線の時間が
あるからと断って帰ってしまったのですが、今回は全く事情が違います。帰りの時間を訊かれて
最終の新幹線に間に合う時間まで楽しませてもらいますと喜んで返事をしてしまいました。
観客が入場しだし、ミキシング・ブースに唯一人だった時、主催者側が私をスタッフだと勘違い
して「会場アナウンスを流すからBGMを一旦カットしてくれ」と言ってきたので、すぐマイクが
ミキシングしていたPM-3000の方のリターンのボリューム(なんと全チャンネルを使い切っていた
ため、BGMはエフェクトのリターン入力に回されていました)を下げてしまったのですが、後で
クレア・ジャパンの人に「スタッフに言ってくれ」と注意されてしまいました。(^^;;
そんなこんなで、本番がスタートし、デイヴィットは大ノリでミキシングしていました。
  
スロー・シャッターだったので、ブラジルのパーカッショニストのサウンドにあわせてシンセドラム
を叩くまねをするなど、動きの激しいデイヴィットの方は完全にブレてしまってます。
デイヴィットは本番中もヘッドフォーンでミキサーの出力信号をモニターし、会場の音と比較し
ながら音質を調節していました。そして、そのヘッドフォーンを私に渡してくれたのです。
新聞の批評は正解でした。スタジオでよく使われているSONYのヘッドフォーンでしたが、
明瞭度の点では差がないという感じで、どちらもステージ上のアーティスト達がすばらしい音
を供給してくれていることを証明していました。リチャード・Tのローズ(E.Pf)もすばらしいし、
マイケル・ブレッカーやスティーヴ・ガッドなど一流アーティストの発する音は、やはり根本から
違うという感じで圧倒され続けてしまいました。極めつけはポール・サイモンの生声で、多分
彼の声だけをヘッドフォーンで聴いたことがある人は限られているのではないかと思われるの
ですが、柔らかいのにハッキリした感じで、感激でした。SIMなどで、ミキサーからの出力信号
と会場の音をマイクで拾った信号を比較して、リアルタイムに周波数特性を測定しながら、イコ
ライザーなどの調整をするのも良いのかもしれませんが、なだらかなピークなどは人間の耳の
方が正確なこともあるので、ヘッドフォーンでチェックするというのは非常に有効な方法だと思
われます。ただ、会場の音とは時間差が生じてしまいますので、ミキサーの出力にディレイを
入れると更に比較しやすくなると思います。個別の音をチェックする時はディレイはバイパス
した方が良いとは思いますが、是非おためしください。
そして、コンサートも終盤にさしかかり、私の好きな曲[アメリカ]のメロディーが会場に流れ出し
たところで、私はデイヴィット達に別れを告げ、会場をあとにしました。


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